☆もてる能力を全力で出し切る。出し切らないと能力も運もついてこない☆
1、逸話(昔話風)
たとえば、算数の文章題で1時間で30問こなせる甲君と、1時間で5問しかこなせない乙君がいたとしよう。乙は毎日それでも、必死に限界まで努力していたが、甲はそれを見て、これぐらいでいいだろうと、適当にで済ませていた。こうなると、どう将来がなるか?
それは明白だ。 乙は毎日、自分の力を出し切ることで、次第に計算力もつき、段々解く能力やこつがつき、いいことが達磨式におき、運も味方し、1時間日で50問せ るるようになり、さらに難問もとけるようになった。
一方、甲は自分の能力を出すの惜しむ癖のため、段々と解く能力も落ちて、レベルが下がって、もう抜け出 せない。乙だけ何故あんなにいいことばかり起こるのだと、不平不満の愚痴ばかりで、自分を反省することなく、天につばをはきまくるだけだった。
2、自己の体験 -1-
私の経験からもこれは正しいと感じる。自分が中学時代に通ったK塾Cコースは市内のできる生徒が集う、競争の場であった。入塾試験の倍率は5倍強で市内近郊のできる小学生が競った。私は合格30人中27番で入った。
K塾には小学5年からのAコースと6年からのBコースの英才教育コースが各々30名前後であったので、私の実力は結局30×2+27で全体で87番だったのだ。
入った当初は周りの頭の良さにびっくりしたものだった。自分は3月生まれで体も小さく知力も乏しい。周りは体も大きく頭が切れる連中で、毎日塾についていくので必死だった。これはかなわないと思いながらも、なぜか毎日必死に勉強し、全力を出し切っていた。
2年になって奇跡は始まる。それも加速的にだ。 K塾Cコースと言えどもK塾ブランドは高く、各人の通っている中学校では一目を置かれた存在になる。Cコースには、容姿端麗でしかも運動能力も高 く市内中学生陸上大会で活躍するスーパースター的な生徒も多かった。大体これらのタイプが私より学力も才能も上にいたのだったが、中学校でちやほやされまた、女子にも てるため付き合ったりする連中もでてきた。
そうしている内に席次が上がっていく。彼らを着実に追い抜いていくのだ。2年の終わりには7,8番前後に上がっていった。1,2番はいつも決まっ ていて別格だった。先生から私の学年でCコースからラ・サールに合格できるのは3名だと言われていたので、3番に入ることを目標に3年ではさらに猛勉し た。
そして、ラ・サールに合格した。結局、私は10点プラスで合格し、2,3点で落ちたのが2,3名いた。(只、この中の一人は附設に入り倦土重来し東大文Ⅰに進学後、中央官僚として活躍している。)
もちろん、指定席の1,2番も合格していた。指定席1番は別格でK塾全体でもずば抜けていて、灘高にも合格していた。灘へ進学し東大理Ⅲへ入っ た。指定席2番はラ・サールから慶応医学部へ進学した。
ちなみに、この年はAコースから10名、Bコースから8名ラ・サールに合格しK塾黄金期のラストを 飾った。次年から、合計で数名しか通らなくなったのだ。関西からの受験者が急増しレベルが上がったためだ。
とにもかくにも、この中学3年間は毎日死ぬ気で必死だった。大学受験ではラ・サールにはいった余裕や安心から慢心があって手を抜いた部分もあって、そんなに必死ではなかったもしれない。もちろん浪人時代は必死だったが。
やはり日々全力を出し切る、これが大切で、これがなければいくら自分は運がいいからとか、ついてるから大丈夫とか自分に諭してもだめなのである。
3、自己の体験 -2-
大学時代、会社員生活、講師時代、塾経営時代と経てきたけれども、やはりふり返ると出し切ることの重要性が浮かび上がる。
教授や上司や保護者様から無理難題なことを任された時、また自発的に仕事をした時、これが自分の成長の糧になると信じ必死に自分の最高のエネル ギーを出し切った時は不思議といい結果がでた。逆にこれは無理と心の片隅にあって全力を出し切らなかったり、これは簡単だからと余裕をだして行ったりした 場合は、仕事はあまりはかどらなかったし、よき結末を得られなかった。
☆全力で出し切るといっても、
休養や息抜きやリラックスは必要である。☆
とはいっても、緊張の毎日では普通は続かない。私の中学時代は尋常でない向上心であふれかえっていたのだろう。また、内容がそんなに高度 でもなかったので続けられたのだろうと思う。
高校に入って猛勉を続けたが、それが逆効果になったケースもあった。全力を出し切ろうと毎日余裕をなくして物 の理を考えずにわからないところは丸暗記した。そのため、3年になって原理原則にのっとる難関受験校の入試問題が解けなかった。
また、いろんな情報を集め熟考する余裕がなくて、まずい勉強計画ばかりで非効率的だった。特徴的なのが高校3年の6,7,8月の猛勉である。今考 えると、非効率的な計画で理解不十分のまま詰め込みしすぎた。そのため、秋風が吹く頃には何故かやる気がでなくなったし入試問題も解ける気がしなかった。
中学校ではごまかせたのが、無理だったのだろう。高校の勉強になると各教科が高度化しより抽象能力、洞察力、整理力等、大脳をフルに活用しないと頂点にはいけない。そのためには脳に適切な休養を与える必要があるのだ。
その後、大学や会社員(企業の研究所)で親しくなった外国の研究者から素晴らしいヒントをもらった 彼らの話によると、特に理論系の研究者はON とOFFのメリハリがすごいらしい。例えば、3ヶ月間土日祝日なしで教会もいかず寝る時間や食事まで惜しんで全力で研究に打ち込む。しかも家に帰らず研究 室に泊り込むことも多い。
その代わり、限界が来たと思ったら休暇を思いっきりとる。例えば、1ヶ月間カナダでスキー三昧したり、南の島で何も考えずバ カンスしたりする。こういった時にも何かのヒラメキがあるらしいが、メモを取ってケースに放り込むだけだ。また、日々の生活でもメリハリをつけて、夕方半 時間は散歩したり、毎週週末はピアノを弾くとかして短時間でもOFFはとる。
また、これは雑誌からの情報だが、中央官僚は予算期になると数ヶ月間は仕事に埋没しなければならず、3ヶ月を超えるとノイローゼになるの者が続出し自殺者もでてくるそうだ。
こう考えると、特に頭脳を駆使する場合、うまく休養をとることが重要となる。 振り返ると、浪人時代はこの休養をうまく取り入れ成功した。予備校に通うのに電車で10分の所を徒歩で30分かけて往復していた。これは、かなり息抜きになった。また、日曜日の午後の数時間は遊び時間としていた。こうする内に、息抜き中にふと数学の解法が浮かんだり、物理の理解できない部分の考え方が 浮かんだりしてきた。
だから、浪人中はそんなに切り詰めて勉強した感はなかった。もちろん、はたから見たら勉強時間は多いしがり勉にみえただろうが。
現在多くの大学受験生を指導しているが、特に浪人生には、毎日30分は連続で散歩ぐらいしなさいとか、夏までは月1,2回遊ぶ日OFF-DAYを設けるようアドバイスしている。 (OFF-DAYだからといって、一日中テレビゲームをするのは考えものである。自然の中で散歩するとか、体を動かす方が絶対いいのである。)
☆毎日を大切に、
たとえ途中からでも☆
生徒によく相談を受けるのが、例えば朝予定通り起きれなかったり、親子喧嘩したりして、嫌な思いをしてその後一日リズムに乗り切らず勉強しなかったとか、昼間になんか嫌なことがあって憂さ晴らしで遊んでしまったとか、ーーーこういう場合どうすればいいのかーーー。
これは完璧主義者にならず、自分を許して立て直すしかない。リズム崩れても、とりあえず計画通り机に向かっていればそのうち復活してるものだ。気楽に行くことも大切だ。
☆合格するためには 親子関係を良好にし運気を上げる☆
これは合格するためでなく人間として生徒に望んでいるのだが、これがないと試験で良く失敗する。長い指導経験から、例えば親に反抗的で感謝が少ないと実力があってもなぜかいい結果がでないことに多く出くわす。
思春期というのは、自我に目覚めいろいろ周りを分析し始める。特に、大学受験などすると抽象能力ががつくものだから、自分の親や家族を分析し批評 し始める。そして、欠点ばかり目に付いてあれが気に食わないとかこれが悪いとか悪態をつき始める。これが酷くなると、反抗期が強くなって親のことを悪くい うし無視したりする。
まあ、こういう生徒も大学に行って社会に出ていろいろ揉まれて変わっていくだろうと暖かい目で見守っている。
でも、親に産んでもらって育ててもらって飯を食べさせてもらって生きているのに、感謝しないならやはり徳がつかない。なぜか試験でポカミスをするとか、体調が悪くなるとか、実力十分なのに落ちることが多い。
親だって欠点はある。100%完璧な人間や親なんか存在しないし自分だって欠点だらけなのに、他者を非難し恨みすぎることは良くない。ほど良いと ころで親を許していかないと自分がきつくなるだけだ。それより、自分を向上させようとか前向きになることが大切だと思う。
長年、生徒さんの親子関係を見てきたが、いい親、子供の教育を本当にわかっている親は少ない。いい親がいたら、子供は宝くじに当たったぐらいにつ いてると思った方がいいくらいだ。逆に、欠点が多い親の元で育つ場合が多いのだからから、子供はいろいろ考えさせられ人間的に成長するのだ。それはそれで 遠回りのようでそうではないのだ。
自分の経験でも、親を恨んでいた時期は人生がうまくいかなかった。やはり、人を許していかないと。人それぞれ事情があるのだし自分だって事情も欠 点もあるのだから、譲れない線は保って許し包んで行かないと運気は上がらないと最近良く思う。まだまだうまくはいかないけれども、努力していくことが大切 だと思う。
この塾もいろんな方にお世話になって御支援をいただき、なんとか続けさせてもらっている。ありがたい限りである。感謝すべき人が一杯いて数え切れ ない。その恩義を、今、来ている生徒さんにしっかりしたいい指導をして返していこうと強く肝に銘じている。これが籐塾の根本にある。
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